秋月種実の墓(西林院)
西林院は、1596年に秋月種実によって建立されました。向かって右から、種実、五男・種守、正室・青松院の墓標があります。ここの近隣は串間城跡の地形が残されており、戦国時代の城跡としては九州で2番目の大きさです。この城跡には、戦国の野城から、江戸時代的な平城へ改造しつつあった形跡が見られます。1587年に串間へ入った種実ですが、直後に朝鮮の役が発生。長男・種長の時代も、関ヶ原の役から江戸時代への激動のときで、種長は乱の鎮圧や江戸城普請に追われ、串間を治めるヒマもなかったようです。その後の一国一城制により、本拠城を高鍋としたことで串間城は廃城となり、改造途中で現代に残ったのだと考えられています。 秋月氏は頭脳明晰の家系で、知恵で時代を乗り越えてきました。串間を農業基地とすることで、表高3万石の高鍋藩は、実質5万石もあったそうです。高名な上杉鷹山は、この秋月家の農業基地に構想を得て、行政改革を行ったと言われています。また、幕末のひと高鍋種樹は書道家として知られ、明治天皇の教育係を勤めたそうです。「高鍋で学者ぶるな」という諺は、学問が盛んな高鍋藩の風土をよくあらわしています。

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